徒然草 第83段 竹林院入道左大臣殿、太政大臣に上り給はんに、?吉田兼好 日文念

竹林院入道左大臣殿、太政大臣に上り給はんに、何の滯りかおはせんなれども:西園寺公衡<さいおんじきんひら>(~1315)のこと。1309年3月に46歳で左大臣になったが、その年6月には辭任した。彼は、黙っていれば太政大臣になるのに何の支障も無かったというのに、。
珍しげなし。一上にて止みなん:「一上<いちのかみ>」は左大臣の異稱。珍しくも無い、左大臣てところで辭めちゃおう、と言って辭めてしまった。
洞院左大臣殿、この事を甘心し給ひて:洞院左大臣<とういんのさだいじん>は、これにいたく感服して。洞院左大臣は、藤原実泰で、彼もまた1318年左大臣になりながら、翌年辭任した。
相國(guó)の望みおはせざりけり:相國(guó)<しょうこく>になりたいという希望を持たなかった。相國(guó)は太政大臣の唐名。
亢竜の悔あり:<こうりゅうのくいあり>と読む。天に昇り詰めた龍は後は降るしかない。そこに竜の後悔がある、の意。
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