【初音ミク】被生命厭惡著?!茎螗顶ぅ辍?/h1>

命に嫌われている。/被生命厭惡著。
投稿時間:2017年08月06日
Music & Lyric:カンザキイオリ
歌詞翻譯來自PJS字幕組 如需轉(zhuǎn)載翻譯請保留譯者及出處
翻譯:MOwlU

「死にたいなんて言うなよ」
「別說什么想死的話啊」
「諦めないで生きろよ」
「別放棄活下去啊」
そんな歌が正しいなんて馬鹿げてるよな
這種歌竟然是正確的 簡直一派荒唐
実際自分は死んでもよくて周りが死んだら悲しくて
事實上自己死了也無所謂 身邊的誰死了就難過一下
「それが嫌だから」っていうエゴなんです
「我討厭這樣」這就是我的一己私念
他人が生きてもどうでもよくて
他人活著與我何干
誰かを嫌うこともファッションで
厭惡某人也是一陣潮流
それでも「平和に生きよう」
即便如此「我們平平淡淡地過完這一生吧」
なんて素敵なことでしょう
聽起來多美好啊
畫面の先では誰かが死んで
屏幕對岸有人死去
それを嘆いて誰かが歌って
有人為此悲嘆而放聲歌唱
それに感化された少年が
而被這歌聲感化的少年
ナイフを持って走った
隨即拔出小刀飛奔起來
僕らは命に嫌われている
我們被生命所厭惡著
価値観もエゴも押し付けていつも誰かを殺したい歌を
將自己的價值觀和私欲強加給他人 總是讓充滿殺念的歌曲
簡単に電波で流した
堂而皇之順著電波流唱
僕らは命に嫌われている
我們都被生命所厭惡著
軽々しく死にたいだとか
輕描淡寫地說什么想死
軽々しく命を見てる僕らは命に嫌われている
不將生命放在眼里的我們 也正被生命深深厭惡著
お金がないので今日も一日中惰眠を謳歌する
因為沒錢 所以今天一整天也就謳歌惰眠
生きる意味なんて見出せず、無駄を自覚して息をする
找不到活下去的意義,深知徒勞并繼續(xù)呼吸
「寂しい」なんて言葉でこの傷が表せていいものか
一句「好寂寞」 就能找到借口將這猙獰傷口公然曝眾嗎
そんな意地ばかり抱え今日も一人ベッドに眠る
滿腔這種想法 今天也一個人縮在被子里入眠
少年だった僕たちはいつか青年に変わっていく
曾是少年的我們終有一日也會變成青年
年老いていつか 枯れ葉のように誰にも知られず朽ちていく
上了年紀后哪天 就像枯葉般不為人知地腐朽在角落
不死身の身體を手に入れて一生死なずに生きていく
得到了不死之身 遠離死亡永生下去
そんなSFを妄想してる
我妄想著這樣的科幻小說
自分が死んでもどうでもよくて
自己死了也無所謂
それでも周りに生きて欲しくて
即便如此周圍的人想讓我活下去
矛盾を抱えて生きてくなんて怒られてしまう
要是活得太矛盾 會惹人生氣的
「正しいものは正しくいなさい」
「正確的事物就要一直在正軌上」
「死にたくないなら生きていなさい」
「不想死的話就活下去」
悲しくなるならそれでもいいなら
若感到悲傷 若那樣也無妨
ずっと一人で笑えよ
就一直獨自朗聲大笑下去吧
僕らは命に嫌われている
我們被生命所厭惡著
幸福の意味すらわからず産まれた環(huán)境ばかり憎んで
甚至對何為幸福一概不知 只會一味憎恨出生所在的環(huán)境
簡単に過去ばかり呪う
簡單地一味詛咒過去
僕らは命に嫌われている
我們都被生命所厭惡著
さよならばかりが好きすぎて本當(dāng)の別れなど知らない僕らは命に嫌われている
對離別過分傾心 明明根本不懂什么是真正的生離死別 這樣的我們啊 正被生命深深厭惡著
幸福も別れも愛情も友情も
幸福 分別 愛情也好 友情也好
滑稽な夢の戯れで全部カネで買える代物
不過都是滑稽的夢中戲言 都是能用錢買來的替換物
明日、死んでしまうかもしれない
或許明天就會死掉
すべて、無駄になるかもしれない
可能一切到最后都是一場空
朝も夜も春も秋も
日升月落 春去秋來
変わらず誰かがどこかで死ぬ
唯獨一成不變的 就是始終會有人在某處死去
夢も明日も何もいらない
什么夢想未來 一概不需要
君が生きていたならそれでいい
只要你活下去 那就已足夠了
そうだ
對啊
本當(dāng)はそういうことが歌いたい
我其實 就是想歌唱出這些啊
命に嫌われている
被生命厭惡著
結(jié)局いつかは死んでいく
到頭來有一天還是會死
君だって僕だっていつかは枯れ葉のように朽ちてく
你也好 我也好 總有一天都會像枯葉那般凋零歸于塵土
それでも僕らは必死に生きて
即便如此我們也會拼命地活下去
命を必死に抱えて生きて
拼命地將生命護在懷中 咬牙活下去
殺してあがいて笑って抱えて
恨過 掙扎過 笑過 懷揣著這樣一切
生きて生きて生きて生きて生きろ
活著 活著 活著 活著 活下去