雪もなき雪國
進(jìn)學(xué)先が決めたあの夏には、私は一度、故郷である雪國へ帰ったことがある。私はあそこに住んでいるおじいさんとおばあさんの家に何日か宿り、ついでにおじいさんと一緒に、彼の兄を訪れた。 おじいさんは前、私は後で、贈(zèng)りものを載せた自転車を押して、何百メートルか歩いて、すぐ彼の住むところに著いた。しかし、こんなに短い歩行でも、私はあの町の淀みを鮮明に感じた。蒸し暑い空気の中で、古びた建物に挾まれた狹い通りは腐ったにおいがかすかに漂い、街角や道端に煉瓦とかコンクリートとか、袋に隠れて正體不明な粗大ごみが橫たわって、歩行中の私たちを邪魔し続けた。私はおじいさんにしたがって、とある壁の皮が抜け落ちた建物に入って、彼の家のドアを叩いた。 ドアを開いた人はあの老人ではなく、彼の娘のようなおばさんであった。挨拶してから中へ眺めたとたん、不意に上半身が裸で、居間を出たばかりの1人の老人が見えた。私は少々気まずくなった。雪のない「裸」の町のありさまを思い出すと、一種のつながりを感じた。 彼はおじいさんの世代にわたって一番出世した人材であることをよく知っている。昔、私のおとうさんに公務(wù)員の仕事を斡旋してくれたほど、えらいかつ親切な人だ。ところが、そのときの彼は、まだ服を著ながらよろよろと、客間のソファーへ向いていた。どのくらい素晴らしかった若者だとしても、長く生き続ければ、いつか老衰する運(yùn)命を受けざるをえない、という自然の摂理が存在するのだ。 彼がついにソファーに腰掛けた。もちろん兄弟同士でいろいろ話し合った。こんな場面に苦手で、あえてじっと座っていた私はこの談話がそのまま無事に終わるかと思うと、あの老人が突然私に聞いて始めた。 「お前、どの大學(xué)に進(jìn)學(xué)する?」 「人大。中國人民大學(xué)」と答えた。この大學(xué)に進(jìn)學(xué)することをあんまり誇りと思わなかったから、私はただ略稱で答えた。しかし、少し考えると、お年寄りはおそらく略稱に詳しくないと思いついたので、わざと公式の名を付け加えた。 「本當(dāng)に受かったの?」 とてつもない確認(rèn)だと思ったが、やはり穏やかに答えた。そして彼はまたおじいさんと話し合い始めた。私は黙って考え続けた。私の家族にかぎって、この前に「いい大學(xué)」に進(jìn)學(xué)した人は私のおとうさんを除いて誰もいない。私にとって些細(xì)なことはもはや彼にとって、興奮に値することだった。しばらくすると、おじいさんは「あんた、呼んでるの」と私に言った。私はまもなく頭をそちらの方へ回した。あの老人は「立って、立ってくださいね」と、私に軽く命令した。私はわけもわからないまま立ち上がった。彼は頭をもたげて、皺の満ちた目を大きく見開いて、じろじろと視線を投げかけた。すると、突然、 「こんなに高い!ねえお前、わしはとても老いたんでしょう」と、また私に柔らかい聲で聞いた。私ははやくなんとかごまかした。 私はとても恥ずかしくなった。あの老人は私に対してたくさんの愛情を抱きながら、自分に対してたくさんの遺憾も抱いた。それに、私は拒みも慰めもできなかった。その後、彼は丁寧そうに私に続々と言い聞かせた。「ぜひ修士進(jìn)學(xué)」やらなにやらを、彼の娘が文句を言い出すまで言い続けた。私はもちろん聞き入れそうな顔をした。 そろそろ帰るときになった。私はおじいさんの後で玄関へ行くやいなや、あの老人ははっと席を立って、しっかりと私の腕を摑んで、強(qiáng)引に1つの居間に連れていった。そして、彼は本棚の中から力強(qiáng)く一摑みの百元札を取り出し、私の手に押し付けた。彼の鋭い目線は、まるで未來にあるなにかを語ろうとしたように、私の心まで貫いた。この場面を見ると、私もおじいさんも、彼の好意を拒否する余地を失った。 その後何年も経った。來日する前のある日、あの老人が一年か二年の前に二十代の孫に先立たれたことを、予想せずに耳にした。それですぐ何もかもわかるようになった。あの鋭い目線はいつでも覚えていたが、あのとき初めて、徹底的に見通した。それは、「私こそが未來である」と言ったも同然だ。両親に大都會(huì)へ連れてきて、國境を越える力を備えた私は、ずっと、発展の停滯した雪國に住む、孫を失った、それに余命の短い、可哀想な老人に、未來そのものと見做されているのだ?!笘|京出身」の「島村」
(注)
たちは美しい雪に隠れた雪國しか知らないが、あそこの住民たちと元住民である私にとって、雪のベールを剝がれた雪國は、もはや未來を失い、儚い人生を飲み込む修羅場に他ならない。 2023年4月28日 東京にて 注:「島村」は川端康成が書いた『雪國』の男主人公である。小説の中で彼は裕福な東京人で、雪國に旅立って遊びに行った。この文は明らかに単なる「島村」と「東京」のことを指していない。